8月4日

2019年8月4日

たろー16歳の誕生日やね。

おめでとう。

 

元気にしてますか。

居心地はどうですか。

全力で走り回ってお腹いっぱい食べてますか。

 

家族のみんなはいつも通りです。

おとんは相変わらず毎日仕事で疲れてるようです。

おかんは毎日家事を頑張って美味しいご飯を作ってくれてます。

啓真は徹夜しながら建築課題と単位取得を必死に頑張っています。

俺は大学院で魚の研究をしています。

まぁ上から見てるだろうから全部知ってるだろうけどね。

 

そう言えば、1年間だけ、子犬を預かることになったよ。

犬の優しさや愛おしさが分かるのもたろーがいてくれたおかげやね。ありがとう。

精一杯愛してあげようと思います。

 

暑くなったね。

毎年夏になると散歩に行くのも一苦労なぐらい暑くて息が上がってたね。

気温が下がった夕方や晩に散歩してたのをよく覚えてるよ。

虫が増えてきたから、朝早起きしてまた虫捕り行きたいね。たろーとならどこまででも歩いて行けるもんな。体力オバケやもんな。

 

おとんやおかんと話してると、よくたろーの話題になるよ。あの時たろーはこうしてたとか、今ならあの辺に寝てそうやなとか。全部分かってしまうんよな。

たまに思い出して悲しくなるけど、その悲しさは本当に嬉しいものです。

まだ心の中で生き続けてくれてる証拠やもんね。思い出してあげないとたろーも可愛そうやもんね。

 

もう1年半が経つ。早いね。

たろーがいない生活が想像できなかったけど、こんな感じなんやね。

慣れはするけど、悲しさが和らぐことはないよ。いつでも思い出すし、今でも会いたいや。

でも今もし会えたらもう二度と離さへんから戻れへんな。それでいい、ずっとここにおったらええよ。

 

たろーの毛触りも、匂いも、骨格の感触も、全部染み付いてて覚えてます。手に取るように分かります。当たり前か。

 

暑いのが苦手でしょうから、遊んだりはしゃいだりするのもいいけど、ちゃんと水分補給だけはするんやよ。あと涼しい部屋で休むんやで。熱中症なっちゃうからな。

 

残念ながら、家族全員健康です。

虹の橋の麓に行くまでは、まだまだ時間がかかりそうです。ごめんね。

気長に待ってて下さい。

そっちはこっちと比べて時間経過が速いのかな。そうやといいね、すぐ会えるから。

 

家族全員で、また集合しよう。

畳の部屋で一緒にゴロゴロしよう。

サッカーボール追いかけよう。

 

必ず会えるって思ってるよ。

揺るぎない確信がある。

片割れとは離れようがないからね。

 

たろーはしんみり嫌いやもんな。

家族が悲しんでたら真っ先に慰めに来てくれたもんな。

やしこの辺にしとこか。

 

調子はどうですか。

元気でやってますか。

健やかに伸び伸びと、遊んで待っててね。

じゃあまたね。

 

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夏、来たる。

蒸し暑い。

所々で蝉が鳴き始めた。
いよいよ夏が到来する。


大学院生活が始まり、早4ヶ月が経とうとしている。
大学生活4回生の頃と何の変わりもない生活だ。


唯一変わったことと言えば、後輩ができたこと。
「あの山田が先輩かぁ」と研究室の先輩方からよく言われる。その通り。研究室では常に下っ端だった僕にも、ついに下の学年ができたのだ。
しかし、関西学生ボート連盟では水路部長をやっており、こう見えて大勢の後輩たちを動かしてきた。もちろんそこでは一番上だった。
環境別によって一番下の立場から一番上の立場まで経験してるのだと思うと、ギャップが大き過ぎて感覚がよく分からなくなる。あるところでは偉そうに指示を出し、あるところではヘコヘコと穏便に生活する。振り幅が大きい。


6月はほぼ1ヶ月間、愛媛県御荘でダイビング調査をした。途中で一旦実家に帰ったりしたので、滞在期間は正確には20日ほどだが。
1年前の調査はダイビング本数が10本もいっていない状態だったため、かなり迷惑をかけた。新品のウェットスーツなので沈まないし、中性浮力は取れないし、動くたびに砂を巻き上げた。調査に不向きだなと思った。悲しいことに。
でも先生や先輩が親切に指導して下さり、2人の動きを真似してると徐々に上手くなっていった気がした。とりあえず邪魔だけはしないように、と必死だった。
それから1年。極寒の潜水講習を受け、未消化メニューを消化し、ブランクを埋め、何とか単独潜水できるようにまでなった。1人でビデオ設置もできるようになったし、海中放尿も、海中脱糞もマスターした。潜っているとまだまだ先生にフィンの使い方や中性浮力の取り方を注意されることはあるが、多分マシにはなってると思う。思いたい。
そして肝心の何本潜ったかは覚えてない。僕らしい。阿保だ。


来年から本格的に就職活動が始まるようだ。他人事のようだが。正直やる気はない。「やり甲斐」と「給料」と「休日」さえあれば何でもいい。面接で何を話せばいいかなんて全く分からないし、薬学部や化学バイオの人たちに敵う気は全くしないし、ましてやマクロの行動学なんて就活に全く有利ではない。武器は「理系脳」だけ。
今年はインターンにも行かないといけない。野外調査組はスケジュール的にかなり厳しい。9月もほぼ1ヶ月間調査に行くからだ。いくつ行けばいいのか、どの企業に行けばいいのか、何も分からない。終わっている。
来年の就活を見越して、今年で2年分の解析をやる予定らしい。マジでやばい。死んでしまう気がする。但し、今年頑張れば来年は水槽実験で遊んで、好きな時に潜りに行くだけだそうだ。研究生活も残り18ヶ月なので、汗水垂らし血反吐撒き散らしながら今年は精一杯尽力しようと思う。


そう言えば、1年間だけゴールデンの子犬の面倒を見ることになった。あまり詳しいことは言ってはいけない決まりなのだが、とにかく可愛い。ただしヤンチャ。手は穴だらけ、腕は傷だらけ。それでも可愛い。甘えん坊だ。その子の世話を手伝わないといけないので、しばらく実家から研究室に通うことにしている(これだけが理由ではないが)。短い期間ではあるが、どこにも負けないぐらいの愛情を注いでやるつもりだ。

「犬は愛おしい」という感情は、白と黒の毛むくじゃらから教えてもらった。共に暮らしていなければ、こんなことも思えなかったのだろう。本当にありがとう。


外を歩くと虫を多く見るようになってきた。
蝉、蝶、蛾、甲虫、その他諸々。
数多の命が栄える季節。最高だ。
でも暑い。蒸し暑い。

これから一段と暑くなるだろう。

暑くなければもっと夏が好きなのに。

と思う反面で、暑くなければ物足りないだろうと思う自分もいる。
あっという間に、夏が来る。


それではまた。

 

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虹の橋

物心がついたのは何時頃だっただろうか。

小学5年生のときぐらいだろうか。

それでも何となくしか覚えていない。

 

毛むくじゃらが来たのは僕が小2の頃。

尻尾の生えているただの小さい毛の塊で、緊張と恐怖で家中の家具を齧って暴れまわっていた。

僕自身も物心がついておらず自分自身の存在が曖昧な状態だったので、心の読めない体の小さいやつが増えただけだった。

でも、死ぬほど嬉しかったのだけは覚えている。

 

もう1人の弟だった。

自分と異なるのは、人間の形をしていないことだけ。

人間の形をしていないだけの、ただの愛の塊だった。

可愛いなんて、何て浅はかな言葉なんだろう。

愛おしいなんて、何てちっぽけな言葉なんだろう。と思う。

もっともっと心の奥底の、言葉でなんか表せないような深く重い愛情の権化。

形容しようのない愛すべき小さく重い命。

想うだけで、胸のあたりがじんわり温かくなる存在。

 

14年7ヶ月。

僕の自我が形成される全ての期間において、ずっと隣に存在していた。

そんな彼が僕のそばから離れて1年が経つ。

本当に一緒に暮らしていたのだろうか。

夢を見ていたんじゃないか。

こんな生活が送れればこの上なく幸せだと、幻想を抱いていたんじゃないか。

そんな風にまで思ってしまうほど不思議な感覚だ。

 

諸行無常

永遠に続く命なんかない。それはずっと分かってる。

でも、納得はできていない。

我儘を言わせてもらえるなら、永遠にそばにいて欲しかった。

自分の人生の隣に、ずっといて欲しかった。

 

「片割れ」という言葉がある。

・・・対になっているものの一方

・・・1つのものから分かれたもの

という意味がある。

その通りだ。

お互いが生まれる前から、僕らが出会う運命は決定していたに違いない。

出会わないというパラレルワールドなんかなく、出会うという1本道の時間軸しかない。

そうじゃないと、今の自分はいない。

自分のことを誰よりも信用して理解してくれる存在だった。

 

僕より後に生まれたくせに、僕より先に去って行くんだな。何てやつだ。

何で神様は、その毛むくじゃらの寿命をたった15年に設定したのか。少な過ぎるだろう。

僕の人生はこれまでもこれからも大事なのに。

こんな大事な時にいないなんて。

 

今でもよく夢を見る。

既にいなくなっている自覚があり泣きながら抱きしめる夢と、いなくなっていることを知らず笑いながら遊ぶ夢。

泣いて目を覚ますときもあるが、どちらを見ても幸せだ。

会いに来てくれている気がする。

どんな姿でも、愛には変わりない。

 

こんな物語がある。

天国の手前には虹の橋がかかっている。

そこには草地や丘があり、豊富な食べ物や水もあり、暖かな日光もある。

病や不自由な体は癒え、健康になる。

動物たちはしばらくそこで元気に暮らす。

しかし、彼らにとって1つだけ満たされていないことがある。

それは、「再会」だ。

彼らが会いたくて仕方がない人。

彼らは、自分が最も愛する特別な人との再会を待っている。

ある日、彼らは立ち止まる。

遠くを見つめる。

彼らの瞳はキラキラと輝き、体は喜びで打ち震える。

彼らは群れを離れ、草原を全速力で駆け抜ける。

特別な人が来たのだ。

顔を舐め、愛を示し、抱き合う。

彼らは、特別な人が虹の橋に来るのをずっと待っているのだ。

 

僕の片割れも待っているに違いない。

老いた体は若返り、弱った足腰は復活し、食欲も無限になっているに違いない。

待っててほしい。必ず迎えに行くから。

何年先になるか分からないけど、必ず会いに行く。いつまでも待っててほしい。

 

散歩に行こう。

サッカーしよう。

一緒に寝よう。

この間まで普通にやっていたことをしよう。

 

本当に愛してるよ。

ゆっくり待ってておくれ。

 

 

愛を込めて

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今までとこれから

3月1日に、卒業論文発表会があった。

4年間の集大成だった。


生物を勉強したいと思い始めたのが小学生高学年の頃だったと思う。小さい頃から山や海によく連れて行ってもらい、「生き物」が常に隣にある生活だった。山では花や虫をかき集め、海ではパンイチで泳いで魚を眺めていた。バッタが口から出した黒い汁を興味本位で舐めたのがトラウマでバッタやキリギリスが苦手になってしまったような、頭の悪いガキンチョであった。やりたいことが決まらない人たちが悩んでいる中、自分のやりたいことは幼い頃から明確で、ただただ生物をやりたいと思って勉強していた。一浪はしたものの、無事に生物学科に入ることができ、ようやく自分のやりたいことが主体で勉強できると思うと最高だった。小中高では、みんなの興味はバラバラで、機械が好きな人もいれば物理が好きな人も、文学が好きな人もいた。興味の対象が多種多様なのは本当にいいことだと思う。そんなバラバラの状態が一気に収縮して、周り全員が生物好きになったのが大学だった。分野は違えど、誰もが生物の魅力に取り憑かれていた。自分では手をつけようとは思わない知識を共有し、議論し、身に付けることで、「ただの生物が好きな人」ではなく、「ある程度の生物学的知識を持った人」になれることが楽しかった。さらに、4回生になると研究室に配属されることになった。野外調査というものに憧れて早数年になるが、ついにそれが現実になった。勉学として、自分の大好きな生物の研究だけをやればいい状態は本当に愉快でたまらない。ダイビングライセンスも取れたことなので、社会人になってもダイビングは趣味として続けていきたい。大学に入学してからは本当にあっという間で、全速力で駆け抜けた気分だった。全てが昨日のことのようだ。歳を取るほど時間が経つのが早く感じるとよく言うが、今でもこんなに早いのに、この先どうなってしまうんだろうと不思議に思う。ついこの間まで一緒にゲラゲラ笑っていた同期でさえも、立派な社会人になろうとしている。かたや大学院に進学しようとしている同期もいる(ちなみに僕は後者)。それぞれの人生の本筋をこれから歩もうとしているんだなと思うと感慨深い。特定の人とは今のままの関係を続けていけたらと願うばかりだ。


と、ここら辺までがザックリまとめた今までの経緯。文脈関係なくつらつらの述べただけで、ただ単純に生物が好きなオッサンが育っていることに変わりはない。しかし、この分野に興味が持てたことは誇らしく思うし、好奇心が尽きない。シワが増えて白髪になって腰が曲がっても、春には花を見たいし、夏には虫を捕まえたい。秋には紅葉の中を歩きたいし、冬には………生物は少ないけどとりあえず何か探したい。あと脂ののった鰤が食べたい。眉間にシワが寄りすぐに怒る頑固なお爺さんではなく、暖かな日差しの下をのんびり歩いて道行く人々にごきげんようと声をかけるようなお爺さんになりたい。フォッフォッフォ的な。イメージを掴み損ねている方は「ダンブルドア」でググって下さい。それっぽいお爺さんが出てきます。


そう言えば、ありがたいことに『卒業論文発表賞』というものをいただいた。ダテハゼとテッポウエビの相利共生についての発表だ。人生で初めての研究で、賞を貰えることは素直に嬉しい。が、この経験を生かしてどうこうとは言いたくない。できるだけサボりたいので怒られてものんびりやっていくつもりでいる。


大学生活はもうすぐ終わり、大学院生活があと2年。やっていけるのかどうか、少し不安な部分もある。根っからのネガティブなので上手くいかない想像しかつかない。周りには元気を振り撒いているが、内面は死ぬほど落ち込んでいるときもある。でかい図体して体は弱いしメソメソしてしまうときもある。でもまぁ人生そんなもんだよなぁって思うし、山あり谷ありそのまんまだなぁって思うし、嫌なこと忘れるために飲み会の予定を入れれば楽しみができるし、今まで何やかんややって来れたんだからこれからもきっと大丈夫だろうと放棄するようにしている。寿司ゲーム映画もあるし、しんどくなったら逃げればいい。逃げ足だけは速いからな。スタコラサッサを見せてやるさ。

 

他の人と自分は全く違うなぁとよく考える。当たり前と思うかも知れないが、本当に違う。そもそも自分てどんなんなんだろうって思うのが嫌い。自分のことを他の人と比べて相対的に判断されることが嫌い。周りの目を気にする生活をずっとしてきた。したくないことでも、あの人がしてるからしないといけないだとか、全く思ってないことを、あの人が言ってるから合わせないといけないだとか。多分怖かったんだと思う。ノリが悪いって思われたり、人と違うって思われるのが。まだ1人で生きられるほど大人でもないし、友達は多い方がいいって思ってたんだろうな。でも、自分を隠して過ごすことはやっぱりしんどいし息が苦しかったから、ある時ふと「やーめた。」ってなった。他人に迷惑をかけないのであれば、自由に生きても問題ないって考えに至った。まだ直ってない箇所もあるけれど、自分という人間の在り方を大事にしようと思えた。個性的で良し。人と変わってて良し。異彩を放ってて良し。吉と出るか凶と出るかは時と場合によるけれど、何じゃコイツって思われてもいいし、あいつはヤバイって思われてもいいし、どっちかと言うとそういう風に思われたいと思うようになった。ノリってほんとにいいことねぇな。と、これは人格形成の話。


あぁ、ようやく暖かくなってきた。微ポカポカだ。もう白い息も出ない。好きな季節がまたやって来ようとしている。休眠が解けて新たな命が芽吹く季節。次はどんな1年になるのだろうか。楽しみだ。


P.S. 僕の卒論も勝手に芽吹いて下さい🌱

 

 

ぐうたらの始まり

TwitterでもなくFacebookでもない場所に

日頃思ったことや感じたことや考えたことを

文字に残しておきたいと思って始めました。

本当に何となく。暇でした。

ア○ブロよりもはてなブログの方がいいと

ネットに書いてあったので何となくこれに。

現在朝の5:45。肌寒い。

外ではポツポツ小雨が降ってる様子。

 

 

適当な頻度で、適当な文章で、適当な感じで、

記録を残していきたいと思います。

自分用なので内容については悪しからず。

 

今抱えている問題と言えば「卒業論文」。

残り20日しかないけどやらねばならんな。

理系は誰もが通る道。

ましてや自分が選んだ道。

楽しいこともあるからまだ頑張れる。

キーボードを打つのが壊滅的に遅いから

卒論の文面はiPhoneで打とうかな…(笑)

携帯依存症なのでフリック入力だけは速い。

ビール片手にのんびりぼちぼちやっていこう。

ふぅ、やれやれ。

 

研究には慣れたし、研究室にも慣れた。

先輩方も先生方も同期もみんないい人だ。

とつくづく思う。

いい環境に身を置けているから

自分のやりたかったことを存分にやろう。

あと2年と少ししかできないもんな。

まぁ趣味としては死ぬまで続けていくけど。

 

緑に囲まれてはしゃいでいた春から

あっという間に冬になった。

あまりにも早すぎる。

二度寝してしまったときに数分のつもりが

数時間経っていたときの感覚と似ている。

日々が充実しているからこそ、

こんなにも日々が過ぎ去るのが早いんだな。

満喫している。ありがたい。

 

一人暮らしにも慣れた。

包丁の扱いもままならなかった野郎が

今では調子に乗って肉や野菜を切ってから

塩胡椒なり醤油なりで味付けをしている。

「料理ができない」=「自分」だったので

料理をしている自分を三人称視点から見ると

何か普通に納得できない。今のところは。

 

実家で朝御飯を食べているとき、

「朝御飯を作りながら

        晩御飯のことを考えている」

と母がよく言っていた。

23歳にもなってこの言葉の意味を

ようやく理解することができた。

感謝と労いの気持ちしか見つからないな。

 

学生生活もラストスパート。

やりたいことを存分にやって

やらないといけないことをぼちぼちやって

たくさん寄り道をしていきたいと思う。

人生の主体となる太くて大きな道よりも

脇に伸びている細くて小さな道の方が

何気に好きだったりする。

たまには逸れたい。

すでに逸れてばっかりだけれども。

 

たまに日記を書いていたら

文章力が身につくのではないか、

と少しだけ期待している。

 

 

それでは。